日本にホテル学校ができた歴史
昭和7年のロサンゼルスでのIOC総会において、日本は正式にオリンピック開催地への立候補を表明しました。昭和10年(1935年)のIOC総会で1940年のオリンピック開催地候補は、東京、イタリアのローマ、フィンランドのヘルシンキの3つにしぼられ、最終的に、昭和11年(1936年)のベルリン・オリンピック時のIOC総会で、1940年の第12回オリンピックの開催地が東京に決定されました。
オリンピック誘致によって多くの外国人が日本にやってくることが予想され、ホテル建設の必要性とホテルで働く人たちを養成するための専門的な教育校が必要となりました。そこで東京都より、海外との関係が深い東京YMCAにホテル学校設置の依頼があり、日本で初めてのホテル専門校が1935年に開設されました。残念ながら、1940年の東京オリンピックは戦争のために中止となり、幻のオリンピックとなりましたが、ホテル学校は存続し、多くのホテルマンを輩出しました。
また、戦後の再開されたオリンピックの際には、多くの日本選手が東京YMCAで合宿を行い、金メダル獲得に大いに貢献をしました。1964年の東京オリンピックでは、ホテル学校の学生たちが選手村やプレスセンターの運営に貢献をしました。この様にYMCAは、ホテル学校の老舗ブランドとして日本のホテル業界に大きな功績を残し、現在も多くのホテルマンを養成しています。
1935年日本で初めてのホテル学校
1935年東京YMCAホテル学校は、日本で初めてのホテルの専門校 として設立。1940年に予定されていた東京オリンピックに向け、世界各国からのゲストを迎えるサービスのプロフェッショナル養成のため、当時の東京市(現在東京都)の依頼により開設されました。
オリンピックの金メダル獲得に貢献
ロス五輪をめざす日本水泳チームは東京YMCAで合宿を実施。 水泳のトレーニングだけでなく、西洋文化に慣れるため、レストランでの食事マナーやホテルのベッドでの生活、英会話に社交ダンスまで、できることは何でも実行していたようです。
YMCAのホテル教育校は全国で6校
広島YMCAは1952年に教育事業を開始。1955年には「学校法人 広島YMCA学園」として認可を受けています。学校教育法に示された専門学校として、多くの若者の夢をサポートしています。現在では、ホテル・ブライダル専門学校と留学生のための日本語学校を展開しています。YMCAのホテル教育校は全国に6校あり、広島YMCAもその一つです。